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久々の更新です [音楽全般]

三か月の禁酒が終わりました。
肝臓にあんまり変化がないので、脂肪肝の方が正しいのかもしれません。
この間いろいろあったので書いておきます。

まず、テレビで某イケメン・イタリアンシェフがコップ一杯のお水に醤油一滴たらされたのをすぐに感じた・・!
昨日、レッスンで・・今ノブロ?の曲をやっているのですが、Eの♭の指、吹奏楽では左手手人差し指は抑えたままですが、正式にはあげないといけません。
どうしても、指が付いていかないので変え指のまま吹いていたのですが・・・、音の曇りを指摘されました。
私にとっては、全く気がつかなかったのですが、先生は曇って音楽としておかしいと。
私のフルートの音自体倍音が正確出なくきれいな音が出ているわけでないのに、それでも音を聞き分けて指摘されたので、ビックリ・・流石です。
ただ、私でも上のEes・Dトリルの変え指と本当の指使いははっきりわかりましたが・・・でも指摘されなかったらそのまま吹いていたでしょうが。

次に、今のうちにみんなに会っておこうと、中学の吹奏楽部の先生80何歳!!。
まだお元気で、OB会の吹奏楽団の指揮をされています。
あってきました。
流石教師なのですか、40年ぶりに会ったのですが、当時のことよく覚えてくれていて楽しい話が出来ました。
今秋は先生や地元の音楽関係者や地元の企業が、地元出身の音楽家を故郷演奏会として演奏させる会で、私の一個上の先輩が演奏するので、それもあったのですが・・。
先輩とは約40年ぶりに会って在京オーケスタラで頑張っておられる見ちたいでした。
この前テレビで見ました。
まあ、カッコよく言うと私が事実上一番弟子なのです。
今度。サインもらおうと思ってます。
ところでこの会、7人くらいの方が演奏したのですが、思い出に残ったのが二人のピアニストの演奏です。
先輩すいません。
一人は某音高生ですが国際レベルのコンクール入賞者です。
もうひとリは、盲目のピアニストです・・まだ30歳前だったように覚えてますが・・、世界では活躍されています。
私的には、凡人ですから、コンクール入賞者の演奏はいいものだと思って聞いたのですが、技術的なことはさておき《わからないので)なんせ堅かった、聞いていて必死なのか、楽器を鳴らすだけだった、ところが盲目の彼はミスタッチもあったものの、聞いていて同じピアノがなんでこんなに響きが違うのというほど、柔らかく、心に響いて聞こえました。
私も、中学時代は一日5時間から8時間以上吹いて、難曲を吹いていましたが、下手クソな今の方が、聞いてもらってもいいかなと思うくらいです。
人生観が加わったのでしょうか。
前にも書きましたが、高校生時代、山岳部に入りどこそこの山を何時間で登ったと自慢していたのに、社会人山岳会では、重い荷物に苦しみながら、山野花を楽しみなが、岩から顔を出すオコジョと遊びながら楽しい登山が出来るようにうなったのと同じですね。
私自身、前から書いているとうり音楽耳は全然ダメなのですが、なぜか、この二人の演奏の違いははっきりわかりました。
ただ、技術だけが素晴らししわけではないのですね。
でも、私がただ吹いているだけでは、他人に音楽的感動を与える演奏が出来ないので、偉そうには言えませんが。
最近、フォーレやドビッシーを仕上げたいと思いだした、今日この頃です。
でも、最終的にはモーッアルトも協奏曲は仕上げたいな・・・。

ところで、40年前買ったニッカンのインペリアルのフルート、ボロボロです。捨てるにも捨てれなくそのままではさびしいので、ネットで同じ楽器のジャンンクを買って、生きてるキー等を使ってペンダントを作りました。
自分の楽器はやはり切り刻むこともできずそのままですが、思い出として、ジャンク品を書加工して身につけています。
樽を切って、ブッチャラへっちゃらキーを付けて紐でくくると、洋銀なのでいい音がします。
鞄にぶら下げています。




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ロシアのあやしい? 無料楽譜サイト [楽譜]

肝臓がよく膨らんでいます・・。
進行しないように3カ月間の禁酒です。

5月の佐渡裕さんのベルリンフィルのテレビ番組を録画して暇にあかして何回も見ていました。
ついでに、ちょっと古いですが2月でしたかNHKのつるべの家族に乾杯に出た時の佐渡さんの分も録画でみていたら、ショスターコヴィッチとバーンスタインの楽譜を見てみたくなりました。
でも確かまだ著作権が・・・。
と思っていたら、やっぱりロシアのサイトで公開されていました。

   http://classicscore.hut2.ru/ ででていました。

アドレスは間違ってないと思いますが、classicscoreで検索で出てきます。
チョット慣れないと面倒ですが、作曲家にはすぐ行きつけます。曲は順番に探して行けば面倒ですがなんとかなります。
曲名は英語でOKですのでなんとかなります。

でも本当にいいのでしょうか。
ついでにプロコイエフもOKでした。
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宇宿充人先生死去・・3月5日・・・。 [思い出]

体調の方も少しずつよくなってきて、ネット等を覗いていたら、宇宿先生の死去のお知らせが出ていました。
前にも書きましたが、40年前中学でフルートを吹いていた時・・中学2年の秋までレギュラーになれず、厳しい練習に四苦八苦していた時、救世主のように現れたのが宇宿先生でした。

みんな、音楽を楽しみなさい・・。

この言葉が音楽の出来ない私に勇気と希望を与えてくれました。
頑張って3年生でトップをやってました。

その当時宇宿先生は(後から知ったのですが)大フィルを解雇され(一節には賞をとった宇宿先生に朝比奈先生が嫉妬したとか・・・?)ヴィエールうぃ立ち上げいろいろ苦しい時期だったはず。

私の宇宿先生の思い出は優しいガイコツ(はげ・・・当時まだ30代だった)叔父さんです。

あるホームページの写しを無断で載せます。
もし関係者の方で削除がいるのであればご連絡ください。


「2、3年の間、死んでみたいんですよ。向こうから見ていたい。一体、本当に・・・音楽界に・・・私が必要なのかどうか・・・」
 リハーサル3日目、途中の僅かな休憩時間。控室に戻るとへたり込むように椅子に腰を落とし、荒い息を吐きながら、途切れ途切れ絞り出すように呻いた。疲労の極みに達していた。3時間程の睡眠が1ヶ月間も続いている。リハーサルで疑問が残ったパートの譜面は自宅に持ち帰り、朝方までかけて全て自分で直すのが習慣になっている。この日も朝の7時までかかった。テーブルに肘をつき、うなだれたまま眼を瞑り、じっとして動かない。
 「みんなは私が死んだ後、『あいつがいないとまずいよ』と言うのか、『あの野郎、死にやがった』と言うのか・・・」
 憔悴ぶりに気を使ってか、リハーサル開始予定を5分程すぎてマネージャーを務める女性団員が呼びに来た時、烈火のごとく怒りをあらわにした。「何もかも演奏者のために用意周到に準備して、こっちはいるんだ。約束を守らない、と思われたらどうするんだ!」
 ふっと弱い声になり「一事が万事、これです」。怒りが残していった光が、微かながら眼に宿っている。「誰か私の代わりに寝てくれませんかね」。冗談のように言いおいて指揮台に向かっていく。
 「生きながら伝説となった指揮者」と謳われ、「クラシック界一の奇人」「正統の中の正統」など、様々に人はこの人を評してきた。
 NHK交響楽団・首席トロンボーン奏者、大阪フィルハーモニー交響楽団・専任指揮者、ヴィエールフィルハーモニック(現・関西フィルハーモニー管弦楽団)・常任指揮者。その輝いた経歴の岸辺を離れ、クラシック音楽界の海を単独で漂流し始めて22年が経った。その間独自で開いてきた演奏会は143回。今、その人は144回目のコンサートを2日後に迎えようとしていた。
 フロイデフィルハーモニー音楽監督 宇宿允人さん(69歳)。
 常軌を逸したかに見えるリハーサル、巷間聞こえてくる日常生活の奇人ぶり、そして何よりあの胸を貫いていく音楽。
 こんな激しい生き方が平成の世にまだ残っていた。絶滅種に近いが、国からの保護指定は受けていない。

新宿オペラシティのリハーサルルーム。初日。自分で運転してきたトラックを搬入口につけると、指揮者自らステージ作りのための資材を降ろし始める。早めに来たメンバーが資材の運搬、雛壇の設置を行っていく。コントラバスやチェロが載っても耐えられるだけの丈夫な重量のある厚手の合板が数十枚、それを支える台(箱馬)が大量に運び込まれる。箱馬の上に合板を敷きつめることで雛壇を作り、本番と同じ条件を作り出していく。1つ1つ演奏者の位置を確認しながら、演奏台を修正し、椅子、譜面台の位置を確かめていく。譜面台に置かれる楽譜はこの2ヶ月の間に指揮者自身が作成したものだ。隙間なく五線譜が並べられた市販の楽譜から一段ずつ拡大コピーして切り貼りする。譜めくりの時に演奏に支障を来さないよう、各パートの休みの箇所がめくりの場所になるよう配慮されている。眼に優しいように少しクリームがかった色の紙を特注している。練習の時に、散らばった楽譜を集めても直ぐにパートが分かるようにパート毎に表紙の色を変えている。こんなことまで指揮者がやらなければいけないのか、という思いがよぎる。こうした様々な配慮がされているのも、演奏者が音楽だけに集中できる環境を可能な限り作りたいためだと気付いたのはリハーサルが始まってからだった。そう、それらが語っていることは「演奏では一切手抜きをさせないぞ!」だった。
 リハーサルが始まる。曲が始まった途端の停止。演奏者ごと名指しの注意、説明。同じ場所を繰り返すうち、次第に語気は荒くなっていく。ほんの2、3秒の出だしの部分だけでどれ程の時間をかけただろうか。ニュアンスをピアニカで吹いてみせ、どのような思いを込めて演奏するかの比喩があり、叱責があり、罵倒があり、時に笑わせ、嘆き、ついには哀願がある。ようやく納得があって、そこを通過しても何小節か先で再び止める。威嚇、戒め、叱咤、激怒、肯定、悲嘆、失意、謝罪、激励、合点、納得、称賛、感謝。人の持つあらゆる感情、表情がそこにある。
そうしながら、ほんの少しずつ先へ進んでいく。曲の深み、意味を伝えていくのに、その部分のメインの奏者が一種の生贄になる。1人を罵倒しながら全員に伝えているのだ
リハーサル初日の指揮台に上がった瞬間が勝負です。必ず奏者との葛藤があります。中には、ごねる人間もいます。100人を救うためにクビにするか、それもひっくるめて100人を引っ張っていくかっていうことになる。それは、毎回の様に淡々とやらなきゃならないことなんです。働かないヤツも、働いてる人間も平等に扱っていかなきゃならない。そういう理不尽なことがあっていいんだろうかと。

 開始、停止の繰り返しが際限もなく行われ、少しずつ楽曲のテーマ、そこに込められたものについて理解が行き渡り始めた時、演奏は止まることなく走り始める。おそらくは細部で問題点を残しながらも、全体を把握させようという意図があるのだろう。

 辞めていった人間が不思議に私の音楽的な悪口は言わないんです。厳しすぎるとかいうようなことは言います。厳しくせざるを得ないです。人に商品を聴かせるためには、あいまいな音だったら、人は眠くなって、金を払ったことを損だと思います。失望した気持ちと時間はどうやって償うんですか。精神的に手を抜いたものに聴衆は納得できないです。ここへ来た時間をどうしてくれるんだと、こうなった時にお金で返す訳にはいかないんです。だから、それを私は楽団員に要求するんです。ミスを怒ってるんじゃないと。本当の芸術家っていうものはテクニックはプロで、精神は初心でいることであると。

 休憩時間、翌日のリハーサルに出席できないメンバーがその旨を伝えに来る。
「私に断ってもしょうがない。チャイコフスキーに断ってよ」

 ティンパニー奏者で、フロイデフィルのマネージャーも務める斉藤伸江さんはプレーヤーの立場から話す。
「手を抜いて弾く人がいる。指揮者(宇宿さん)がそれを指摘すると『やっぱり』と、他の奏者としてはスッとする訳なんですよ。だから自分たちもやらなきゃいけないという気持になるんですね。
一番後ろのメンバーにまで『何やってるんだ!』と怒る。通常、後ろに行けば行くほど常任でないメンバーがいて責任を持っていないんですけど、指揮者の考えは違うんですね。『アシスタントや後ろのメンバーが一番上手くなくてはいけない』と説明するんです。そうすると、だんだんメンバーの意識が変わってくる。外から見ていたら酷いことを言っているように思うかもしれませんが、メンバーとしては非常に納得がいくんです。だからみんな帰らないんですね、過酷な練習やってても。

 例えば他の指揮者が『お前らバカヤロー!』なんて自分のオーケストラに言ったとしたら、『何だバカヤローとは!訴えるぞ!』って始まると思いますよ。絶対に指揮者(宇宿さん)のところでそれはない。あの人が言われるのは当たり前だと。と言っても、いざ自分が言われるとパニックになるんですけど、あんなに言われて辛いんじゃない、とか誰も言わないんです。そこが決定的に違うところで、誰もが厳しいと感じていると思うんですけど、本当にもしかしたら、一番いい練習だなって思ってるのはメンバーかもしれません」

 指揮者(宇宿さん)はメンバーに自分の意図をひたむきに伝えながらも、「『お前たちも怒れ!』と言っているんです。怒れば、怒った以上にやらなければならなくなる」
 その都度選ばれるメンバー。今回はオーケストラ編成、約100名。フリーのプロ、大学生。レギュラーもいれば、数回目、中には初めてという人も混じっている。ベテランも新人も報酬は同じである。

 オーケストラの中で、弾ける人間と弾けない人間、一番と二番と、どうして同じギャラにしなきゃならないのか。ベテランの方がやる気なくなるんじゃないかと。あんなヤツと俺と一緒のギャラかということになると思います。非常に金銭的なことで悩むんですけど、私は今のところ、ギャラは同じにしています。例えば、ほんの何人かの学生がやりたいと言って来ます。学生だからということで、ギャラをなくしたり下げたりすると、学生だから、という気持ちで弾くんです。「だって私は学生として先生がOKされたんですから、これ以上は弾けません」と。

 フロイデフィルの場合、常にコンサート開催の資金調達と向き合ってきた。過去幾度も開催が危ぶまれ、休止の危機にも見舞われている。家財を売り払って経費にあててきたが、それも尽きた。資金捻出に奔走してきた疲労感が、どこかしら滲んでいる。

1934年、京都市に生まれる。
 小さい頃から音楽は好きだったが、本格的に取り組んだのは遅い。スポーツ少年だった。バレーボール、軟式テニス、野球。毎日、鴨川沿いの道を5km走った。中学2年で初めてブラスバンド部に入り、和声学を学ぶ。そのことが高校2年に普通科から音楽コースに転入する最初の伏線になっている。
男は男らしく、女は女らしく、といった時代。音楽をやっている男は、女々しいと言われた時代です。ブラスバンド部に入って初めて音楽をしたようなものです。高校の音楽コースに入ったら、みんな音符でぎっしり埋まった真っ黒な譜面を見てピアノを弾いているんです。そんな時に私はバイエル(ピアノの初級者のための教則本)から始めました。10日でバイエル106番まで弾けるようになって、先生は驚きましたね。バイエルが終わってすぐに、ソナタ(ピアノの中上級程度の教則本)。ベートーヴェンの「悲愴」も弾きました。しかし、まだまだ準備不十分で、芸大を受けるなんてとんでもないことだったんですよ。私はそういう感じで東京に受験に来たんです。

 東京芸術大学器楽科に入学。授業はほとんど出ず、皆が帰った頃学校に行って、夜中までピアノやトロンボーンの練習、作曲、指揮法などを学び続けた。大学には結局、 最初の半年しか行かなかった。先生にまで代返を頼んだという。テストだけは受けていた。授業には出なかったが、一方で憧れだった日本のクラシック音楽の草分けとも言える近衛秀麿のもとへ通い、見習いを続けながら指揮法と管弦楽法を学んでいく。

 近衛さんに会った頃から既に指揮者を目指していました。近衛さんは言った。まずはオーケストラに入って主席になれと。主席になれば、オーケストラを指揮するということはどういうことか理解できるようになる。オーケストラのプレーヤーになるには、芸大を首席で卒業しなければならないんです。私はそれで「よし、一番になる!」と心に決めました。幸いに、なんとか首席で卒業しました。しかし本当は、どこの学校を卒業したとか、どんな賞をもらったとか、そんなことは本質的なものではなく、音楽とは、もっと奥深いものですよ。
 
 近衛先生の書生のようなことをさせてもらいながら、日本の音楽界、音楽教育の将来に疑問を持つようになっていきました。それならば日本の音楽界を変えるためには、どういう勉強をすればいいのか? 指揮をしたいから指揮者になったというより、音楽界を見直すために指揮者(指導者)としての道を選んだのです。

 1957年、NHK交響楽団にトロンボーン奏者として入団。60年には主席奏者となる。経済的にも恵まれていた時代、何よりゆったりと演奏活動をできたことが嬉しかった。しかし周りを見回すと、日本のオーケストラはピンからキリまである。N響だけでなく他のオーケストラもレベルアップしなければ、と感じ始める。近衛秀麿に「指揮者になりたい」と言った意味がそういうことなのだと、はっきりその時意識した。N響の10年は指揮者の隅から隅まで学んだという。

 1968年、研鑽のため楽団からニューヨークに派遣された。数ヶ月が過ぎた頃、当時大阪フィルの常任指揮者だった朝比奈隆から専任指揮者にならないか、という誘いの電話が入った。給料はN響時代の3分1。

迷って、日本に残してきた家内に相談したら「ゆくゆくは指揮者になるんでしょ。大阪フィルへ行ったら」と一言。それで踏ん切りがついて、朝比奈氏にN響と折衝してほしいという手紙を出した。8ヶ月のニューヨーク生活でした。本当はニューヨークからヨーロッパに渡って勉強したかった。アメリカのオーケストラはうまいんだけれど、2、3回聴いたら飽きてしまう。ニューヨークもボストンもフィラデルフィアも。特にフィラデルフィアなんて目も覚めるほどうまいのに。

 翌年、大阪フィルハーモニー交響楽団の専任指揮者に就任。1年後、定期演奏会でベートーヴェン「ミサソレムニス」を指揮。指揮者個人に対して、これまで前例のなかった大阪文化祭賞を受賞する。どのような経緯があったか、その直後に解任通告を受ける。大阪フィル退団後、関西に住む若い弦楽器奏者25名が集まり、「ヴィエール室内合奏団」としてスタート。その常任指揮者に就任した。3年後、合奏団として大阪文化祭賞を受賞するが、次第に芸術から遊離していくように感じられ、退団。漂流が始まる。
いくつかのエピソードを並べてみると、この人の「あまりに真っ直ぐ」と「それゆえの衝突」が見えてくる。言葉に収まりきらない生き方。クラシック音楽の指揮者といえば、近寄りがたい雰囲気、日常を想像するだろう。この人の生き方は全てそれらを裏切っていく。
2年前、長年連れ添った妻・嘉余子さんを亡くした。生前から変わらないが、本来なら専門の職人に頼まなければできないような大仕事でも宇宿さん自身がやってきた。
 広い家のいくつもの部屋の壁紙を貼った。繋ぎ目も分からないような出来栄え。襖、障子の張り替え、本棚、浴室、下水、屋根裏の電気配線、飼っている犬の出入口、掘炬燵、庭の石畳、離れの楽譜室、屋根の修理、庭木の手入れ、杉皮を葺いて庭園のようにした裏木戸、石を組んだ家の正門、全て宇宿さんの手作り。家の中で手を入れていない箇所は畳くらいだという。何事にも興味を持って自らやってみるという。

 アイロンがけも洗濯も、全部自分でやりますよ。人のものだってやりますよ。奥さんがやらなきゃいけないなんて法律ないでしょ。私は自分の布団が汚いことなんて問題じゃあないんですよ。自分については全然気にならない。よく娘には注意されます。自分で使える時間の中では、できるだけ生活の努力をしたほうがいい。それは物事の本質を見つめるということにおいて最も大切なことなのです。

 幾度目かの取材の時だったか、宇宿さんが寝泊まりする棟のダイニングで、昨年放映された番組についての話題になった。「あの編集はひどい」「無茶苦茶だ。いろんな曲をまぜこぜにしてつないでいる」など、その場にいた楽団員から様々な批判が出た。あまりの激しさに「オンエアを認めたのは結局、宇宿さん自身でしょう?」と聞いた時、さらに反論しようとした楽団員の1人を押し止めるように、宇宿さんは小さく頷いた。
 下請けプロダクションのスタッフの顔が浮かんだのか、テレビでの放映による宣伝効果を考えて折れたのか。

 「私ほど人に教えるのがうまい人間はいませんよ」と言う。

ある時、幼稚園児に音楽を教えることになった。バッハの「トッカータとフーガ」。プロでも容易に演奏できない曲目を選び、まだ字もよく読めない、語彙も少ない5、6歳の幼児に教えていった。

 その音は驚愕です。背筋がぞっとするほどの演奏なんです。そのテープはまだ幼稚園に保管してあるはずです。
 ある私立中学でも教えたことがあります。最初は音楽なんてものじゃなかった。2ヶ月くらい経った時、「もしかしたら、関東大会くらいなら出れるかもしれない」と関係者に話したんですよ。驚きましたね。そうしたら、その年、関東大会で1位です。その後関西に行って全国大会に出た。1位です。同じようなことが別の中学でもありました。おそらく教えることなら私は世界一じゃないですか。

 演奏会の終わった後、多くの知人が楽屋を訪れて賛辞を送り祝福するというのは、どこでも見受けられる光景である。あるグループが終演後、その日の演奏に感動し、楽屋を訪れて祝福の言葉をなげた。「先生、おめでとうございます」。その時指揮者は「おめでとうって、何かおめでたいことがあったのですか?」とその人に訊ねたという。その場にいた15、6名の訪問者たちの中に、冷えびえとした気まずい空気が流れた。「私がなぜおめでとう、と言われなきゃいけないんです」

 大阪と東京を行き来していた時代、自分で車を運転して往復していた。ある時大阪から東京の自宅まで運転して戻って来た時大阪に母親の治療器の一部を置き忘れてきたことに気付いた。目の前の家にも入らず、家の前でUターンして大阪まで取りに戻ったという。
コンサートシリーズ「宇宿允人の世界」は宇宿さんの音楽、生き方に共鳴する音楽家が集って結成されたオーケストラによって続けられてきた。
新宿文化センターで第1回を開催したのが1982年。88年から定期演奏会のスタイルを確立した。中でも中国政府の招聘によって実現した北京・人民大会堂でのコンサート(1997年)は、アンコールが4回にも及ぶ演奏で7,000人の聴衆を魅了した。98年よりオーケストラの名称をフロイデフィルハーモニーとする。妥協を許さない音楽づくりと音楽家との厳しい打ち合わせから表現される精神性、芸術性は「他に類を見ない」と言われている。さらにバレエ音楽「ゆき女(じょ)」をはじめ、作曲・ 編曲も手がけ、これらの作品は独自の芸術領域を開くと評価されている。

 もう少しで150回に達します。でも過去にやった演奏会の思い出に浸るなんていうのは全くありませんね。1つの演奏会が終われば、楽譜の整理と次の演奏会の準備です。むしろ演奏会前より忙しい。
指揮台の上にその人はいた。

・ワーグナー/歌劇「タンホイザー」序曲
・リスト/ハンガリー狂詩曲第二番 嬰ハ短調 S.244
・チャイコフスキー/交響曲第五番 ホ短調 作品64

ゆっくりとタクトは動いた。
音楽の時。

「死ぬ覚悟」と隣り合わせに、「生きる覚悟」のある人。
苦しみきること。悲しみきること。そして、生ききること。
生きることが哲学だった時代に生まれて、「枯れない」美しさを知った。
なりふり構わず、はいつくばり、しがみつき、若者に「精神」について語り続ける。

最後の曲。楽章が進む。
ひとつの音が立ち上がり、不意に束になり、
人々の胸を突き抜けて消える。
瞬間、新しい音が静かに浮かび上がり、いくつもの音色が次第に重なり、
その人は透明になっていく。
決して重くはないが、その人を取り巻いていたいっさい、
昼に食べたカレーライス、薬殺されようとしていたのを
引き取ってきた3匹の犬、楽譜作成の時に出る紙の切れ端、
息子や娘たち、亡くなった妻、
丹精こめて作った雨の中の裏木戸。
体を覆っていた角質化したそれらが、ひび割れパラパラとこぼれ落ちる。
2ヶ月替えていないベッドのシーツも、激しく学んだ学生時代も、
電気料金の請求書も、楽団と決別したいきさつも、
2、3日前つい吐いてしまった弱音も、詰まった下水管も、
いっさいが体から剥がれ落ち、透明になっていく。

ステージに指揮者はいなかった。
指揮台の上には「音楽」。
ただ 音楽そのものが立っていた。


 幾度目かのリハーサル。練習が終わったあと、控室からよろめくような足どりで出てくるなり宇宿さんはキッと私を見据えた。「もし私を書くというのなら、トコトンつきあって下さいよ!」と今までの取材が不満であるかのような言葉を投げてきた。
 かつてこれほどまで時間を費やして取材したことはなかった。リハーサル、コンサート等含め、その時点で宇宿さんに会うこと10回、おそらく50時間以上にも及んでいた。(最終的には16回に及んだ。)
 取材対象者のスケジュールにもよるが、取材時間が短い時では2~3時間、数回に渡って取材できた人でも合計すると10時間に及ばなかった。どのような取材であれ、その人の歩んできた経歴などについては会う前に、かなりの精度と密度で調べることを旨としてきたつもりだった。大げさなことを言えば聞くことがないくらい、あるいは会って質問し、答えがどのようなものであるか既に予測がつくくらいのところまでは調べてきたつもりである。
 その時既に気付いていたが、「延々と見続ける中で、正しい私の姿を見て欲しい」という思いが宇宿さんにはあったのだろう。過去、様々な取材を受ける中、言動の一部だけが強調されて自分ではない人間像を作られたという苦い経験がある。ある意味では一部を強調したくなる面白さをもっていることも事実である。だからこそ見続けることでしか言葉にすることのできないものがあるはずだ、と直感的に感じ続けていたのかもしれない。
 確かに、リハーサルのある部分だけを見たら、怒鳴り散らすだけの指揮者に見えることを、宇宿さんは悲しんでいた。しかし、1日リハーサルを見ていれば、様々なニュアンスが一刻一刻変わっていくことに気付く。
 フォルティッシモ、フォルテ、ピアノ、ピアニッシモ。激しさがあり、強さがあり、納得があり、肯定があった。その全てを見ない限り、分かってもらえないという思いがあったのだろう。


派閥の関係ない、音楽をこよなく愛する人にスポットライトが当たる日本でありますように・・・。


近況報告・・。
少しずつ体調は戻ってますが、休めない仕事が一杯で2月から一日も休みなしで働いています。
そろそろ病院行きかもしれません。

いまレッスンはモーツアルトのフルートとハープのための協奏曲をやっています。
50過ぎてフルートを再開し3年ようやく少しずつ吹けるようになってきました。
私の楽器はEメカがないのでいまだにEがあやしいですついでにフィスも・・。
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東北地方太平洋沖地震

3月11日に発生した 「東北地方太平洋沖地震」 におきまして、
被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申しあげるとともに、
犠牲になられた方々とご遺族の皆様に対し、お悔やみを申しあげます。
そして、一人でも多くの方のご無事を心よりお祈り申しあげます。

追伸
体調不良のため更新今しばらくお休みいたします。

音楽題材のDVD・ひさびさレッスンの二本立て [音楽全般]

映画の話から・・・。
チョット風邪か胃腸を壊していつもより早く寝ることになって・・といっても寝れないのでDVDを借りてきてみることにしました。
ちょっと世間から疎いのか、知らない音楽の映画があたのでみることにしました。
多分、世間では話題になったであろう映画ですが。
4本あって、ブラス関係が2本、オケ物が1本、ピアノが1本です。
のだめもテレビで一回しかみてないのでみてみようかなと思ったのですが、テレビでみた指揮のシーン(指揮コンクールの時だと思います)外人の方がちゃんと振れていたので、みてもしょうがないかとおもいました。
以前羽田健太郎さんが、日本と外国の映画の違いで、外国の映画における演奏シーンはちゃんと弾いているように見える、たとえばピアノのシーンだったら、高音の時は高音部に低音の時なら低音部にちゃんと手がいっている・・・と。
話はそれましたが。
ブラス関係は。
ブラブラバンバンと英国のブラスです。
オケ関係はオーケストラという映画、原題コンサートです。
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲に絡むニセボリショイ交響楽団の遠征のおはなしです。
ヴァイオリンって最高の楽器だと思いますが、音楽をやり始めたころ聴いたのがチゴイネルワイゼンとメンデルスゾーンの協奏曲です。
いい曲なのですがなんか暗い音に聞こえてあんまり好きではありませんでした、それに対してチャイコフスキーのはふくよかな響きに聞こえて、ヴァイオリンを好きになるきっかけになった曲で、その曲が主題になっている映画なので、心地よくみれました。
あと、本当に知らなかったのですが、マンガの神童の実写版です。
内容が実際の出来事のようで楽しかったです。
音楽の好きな方はこれらは知っておられるでしょうが、私は初めてでした。
たまに、体調を崩すのもいいかも。

ところで本題・・。
先月事情があってレッスンがなかったので、2ヶ月あいてレッスンでした。
前回書いた黒い楽譜について・・・。
意識していたんですが、今回もやはり同じことを注意されました。
とほほ・・。

今回の曲はビゼーのアルルの女メヌエットです。
昔から知っているし、吹いてもいるし、何度も聞いた曲なのですが・・・。
家で練習して録音してみて聞いてもなんかイメージが違っていたので、レッスン曲にしようと思ったのです。
フルートを初めて吹いてから途中、40年近く間が抜けていますが、初めて納得がいきました。
吹けたかどうかは別ですが。
曲の組立、アーティキュレーションに私の場合はさらにブレス位置を含めてしっかり、解説?していただきました。
自分でも何回も聞いて吹いているのに解ってなかったんです。
音楽力の違いですか。
ここではっきりしたのです、自己流にやっている曲全部、レッスンに持っていこう・・と。
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困った時は他人のHP!! [練習格言]

レッスンでいつもいわれることですが、楽譜が黒いと早く演奏してしまいよけいにゴチャゴチャになる・・・と。
特にそこの場面がくると緊張してよけい指も動かない。
そのためにも、この前タファネル・ゴベールの毎日の練習をがんばって買ったのですが・・・。
そんな折り、昔いろんなフルート関連のサイトからコピーしたものをいくつか読み返していると、こんなものをみつけました、見つけたというか以前は呼んでも興味がなかったのですが。

題材が楽器と格闘しないために・・となっています。
当たり前のことだからかもしれませんが・・。

ちょっと内容を移させてもらいます。

「なぜプロは難しい曲をあんなに軽々とふけるのだろう?」と思ったことありませんか?
答えはかんたんです。「実際に軽々と吹いているからです」
バカにするなと思うかもしれませんが、アマは「そう難しくもない曲」を四苦八苦して」吹いているのが現実です。

易しい曲が「軽々と」吹けずに難曲がそうできるはずはありません。
(演奏中に起きていること)
「難しいと思い」「指・胸・唇に力が入り」「目と頭の向きが変わり」、「アンブッシャーが知らぬ間に変化し」、「息が上がり」、「のどや唇がしまる」など、コントロールを乱す事象が次から次ぎへと起きます。
一つの困難を克服しようとして、別の困難を生むこともあります。
適切な範囲や限界を感じていないのです。やりすぎているのにまだ足りないと思って、さらにやろうとします。これでは演奏が凸凹するのも当然です。アマは易しいフレーズを難しく、難しいフレーズはより難しく吹く、「楽器との格闘」に挑戦するK1戦士です。・・・・と。

また、こうもかかれています

(気持ちの問題)
アガった経験は誰にもあります。出番が近ずくだけで心臓の鼓動が速くなりました。
心は身体に影響を及ぼします。あなたが「難しい」と思えばそれだけで身体が堅くなります。
同じ動作でも「難しい」と思ってやるのと「楽しい遊び」と思ってやるのでは身体の状態が違う。

音域、臨時記号、ffやpp
黒っぽい譜面、先生のアドバイス、かつて読んだ教則本の記述、見栄、他人との競争心いろいろな要素があなたの意識に影響を与え、筋肉の動きに反映します。
危機に接したときに身体を堅くして身構えるのは本能の反射です。一方、予想される結果に対して、あらかじめ言い訳(難しい)を用意しておくのも心の平安の為に使われる方法。
楽器のコントロールの出発点は、意識であり、気持ちです。

(上手く行かない事実に直面したとき)
解決の為に、身体の感覚をフル動員します。視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚の五感以外にも人間が識別できる感覚があります。
それは、心の感覚と身体が感じる感覚です。
「今、上手くできない」ことがあなたの価値を下げることはありません。できるかどうかではなく、目の前で起きていることをもう少し観察してみましょう。
「私はできるようになる」と思いましょう。「あなたは軽々と楽器が扱える」のです。
「私には、私自身の問題を感じる力、解決する力がある」ことを信じるのが大切なのです。
以下、6ページにわたっていろいろ書かれています。

2004年の文章ですが興味があれば上記の題材で検索してみてください。
まあ、何回も練習する事も重要であるとおもいますが、最初から楽譜が黒いと思ってしまうと、その時点で落ち込んでしまうので、意識改革もいいかもしれません。

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音楽度の検定内容は・・。 [音楽全般]

前回の某音大のグレード検定について受験案内が見つかったのでまとめて書いておきます。
音楽家の耳検定となっています。
音楽家にとって必要な耳とは、音の高さやリズム、そして音楽の表現や、流れを瞬間的に捉える耳・・と案内されています。

グレードが14あって
初歩者は 1~2  
初級~中級は3~5
中級~上級は6~10
上級は 11から14
となっています。

たとえばグレード1の検定内容は
音楽に合わせて、拍子をたたきなさい
演奏が始まったらできるだけ早く音楽に加わりなさい
強迫にアクセントをおきなさい
演奏が終わったら拍子を答えなさい
(課題曲)ビゼーのアルルの女 第二組曲 メヌエット
となっています。
これ、ちょうど今練習しています・・・・が拍子いくつだっけ四分の三・・八分の六ええっと。
強迫はどこが正しいのか・・たぶん強迫は今度のレッスンで習うはずです。
わあ、グレード1が危ない!

さて、グレード5を取得すると入試の楽典・ソルフェージュ免除だそうです。
その前のグレード4は・・。

先生が3回演奏するので覚えて演奏しなさい、主和音は・・拍子は・・・?
(課題曲)モーツァルトのフィガロの結婚 アリア 若いうちは・・・です

グレード6は聴音です
次に演奏する曲を聴いて、オーケストラの木管楽器の旋律を楽譜に書取なさい。
音部記号・調・拍子は教えてもらえます。
演奏は6回されます。
(課題曲)フォーレのパバーヌ
以下簡単に
グレード7
音楽の表現と形式の理解
グレード9
3声の中から下のパートを歌う
グレード11
2声の記憶唄または演奏
グレード13
演奏と楽譜との相違点の認識
グレード14
音楽の構造や様式の理解即興演奏
(課題曲)ショパン マズルカ

グレード2・3で音楽の表情を感じる、グレードがあがるとさらに形式の理解、さらにすすんで音大生では聴音即効演奏・移調が必須みたいです。
やばいですね・・・グレード1が危ない状態です。
さらに、演奏グレードというものがあります。
演奏グレードも級位により試験免除となってました。

どちらにせよ、音楽の道は遠いものです。
レッスンで先生に遊んでもらっているうちが気楽でいいのかもしれません。
でも、いつまでたってもこの曲はどのように演奏するのか永遠にレッスンを受けないといけません・・・。

アーティキュレーションと音楽表現・・・・さてどうしますか。
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新年の訳のわからないことを [音楽全般]

今年初めての更新になります。
ずうっと書きたいこといろいろありましたが、時間がなくほったらかしの状態でした。

今年の目標は生涯学習一環として、音楽能力のアップを考えています。
まあ、今更・・・ですが。
息子が高校生になったので、それにつけ込んで全国の音楽大学の案内をあつめてみました。
国立公立は無理ですが私立は丁寧に案内書から学内演奏会の案内までなんでもおくってくれました。
そこで見つけたのが数十年の歴史のある大学の音楽度検定です(名称は別です)
先生が発したリズムをすぐ繰り返せるから始まり1級から7級までだったと思いますが検定内容が書いてありました
いま手元に書類がないので正確かどうかわかりまんが、3か4級で大学入試のソルフェージュ免除となっていたと思います。
音楽を行うものにとって必要とされる技術?を評価するものでしょうが、私がみていると1級はとれそうですが2級で即先生の弾いたメロディーをすぐに復唱するとあり、ああ、ダメダとおもったものです。
フルートを再開してまる3年がたとうとしています。
それなりにこなせるようになってきているのですが、やっぱり音楽の根本・解釈・理解というところでついていけてません。
大学時代のように、何回も演奏を聞いて頭にたたき込んでそれを元に演奏している状態が続いています。
自分では、ああ、何とかしたいとおもっているのですが・・・。
逆の発送ですが演奏技術だけなら中学時代のように泣こうが、喚こうがが練習すれば何とかなると思うのですが・・音楽として楽しくもクソもない。
ま、一番の練習方法としては多くの音楽を聞くことからかもしれません。
経験を増やすことでしょうか。
また昨年末にようやくタファネルゴベールの毎日の練習を買って、いろんなメソードを見直してみましたが、最低限これくらいが軽くこなせないと次のステップに進んでいけない、いつまでたってもレッスンで吹いてはい終わりの状態(ゴルフのパターのOKみたいな状態)しかならない。
きちっとフィニッシュするのに一曲一年くらいかかりそうなので、先生もOK出してくれているんだと思いますが、自分としては、なんとかしたいと・・・。
いつも、音楽的な問題を考えると頭の中がグチャグチャになるので今日もなにを書いているのかわからなくなってきたのですが。
最終目標。
どんな易しい曲でもいいから人前でちゃんと演奏できるようにと今年一年がんばってみたいと思います。

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何のためにレッスンを・・・。 [音楽全般]

あと10日で今年最後のレッスンです。
バッハのチェロスイートは一応ですがOK出たのですが家で毎日さらっています。
まだまだ納得できないところがあってなんとか完成させたいと思っています。
次の曲は、フルート吹きなら一度は通過するアルルの女です。
中学二年のフルートのテストで音楽の先生に文句を言われながらOKをもらった曲ですが、一度はきちっと吹いてみたいと思い次のレッスン曲にしました。

さてレッスンとは・・。
私は前にも書きましたが中学時代、正式に教えてもらってませんし自己流で吹いていましたし、本当にフルート奏者にきちっと習ったことがなく・・宮本明恭先生に音階を聴いてもらっただけ(中学時)なので、本物という言い方はおかしいかもしれませんが、本当のフルートというものを知りたくて習いに行ったものなのです。

おかげさまで、今は月一回ですが教えていただいて満足です・・私はです・・先生は言いたいこといっぱいかもしれません。

この前の浜松の小林先生の新しいメールマガジンにレッスンのことが書いてありましたので乗っけてみました。


・専門的な知識を学ぶため
・自分の練習の方向性を確認するため

この2つが重要なポイントになるんですね。

では、ここから1つずつ説明していきます。


○専門的な知識を学ぶため

フルートが上達するためには、専門的な知識は必要不可欠です。

例えば、

・どういう練習をすればいのか?
・何に注意して練習をするのか?
・良くしていくためには、どうしたらいいのか?

などですね。

それ以外にも、

・自分の練習の問題点
・自分の調子が悪い原因
・自分の奏法の問題点

などは、実は必ずテクニック的な原因があります。

そういうことを、レッスンで学ぶんですね。


自分が知らない「練習に必要な専門的な知識」を知る
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

これが、レッスンを受けている方の上達が早い理由です。


○自分の練習の方向性を確認するため

もう1つ、重要なことは、

自分の練習の方向性を確認するため
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
です。

例えば、息が弱いと注意されて、息を強く出したとします。

でも、練習をしていく中で、息が強くなりすぎていたとしても、
自分では「息が弱い」と思い込んでいるから、
どんどん強く吹いていってしまいやすいんですね。

それに気付かずに練習を続けると、「スランプ」という状態に
なってしまいます。

レッスンを受けてると、そうやって自分の方向性がずれていった時に、
早い段階で修正が出来るんですね。


このような感じで、

・専門的な知識を学ぶため
・自分の練習の方向性を確認するため

こういう考え方でレッスンを受けると、自分の知識や
フルートを演奏するための「感覚的な部分」が
身につきやすくなります。

フルートに限らずですが、楽器が上達するためには、
専門的な部分が必要になってきますからね。

そういう部分を意識して、レッスンを受けてみてください。


プロ志向の方は別としても、正しい知識を知ってきちんと演奏できることはうれしいことなのです。

音楽的理解もなく、表現の乏しい私ではありますが、そんな私がどのように吹けば聞いていられる限度の音楽を演奏できるか、試行錯誤で教えていただいている先生に感謝です。

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訳が分からない内容・・・。 [音楽全般]

50になってから音楽を再開して丸3年がたとうとしています。
レッスンを始めて1年半とチョット。
でもいまだに、音感が宿ってない。

音痴はいまだに変わらず、さらに味音痴、体育音痴・・全ての、センスを要する事柄に音痴であるというのが現状です。
いまだに、カニ・ふぐ・・・・何がおいしいのかわからないし、おいしい和菓子なんて口の中がザラザラするとしか思えない。
脳の中の物を感じる部分が壊れているのか・・。
本当に素晴らしいと思うものは、いいなあと思えるものもあります。
レッスンでの先生の見本演奏やいつも言っている宇宿充人先生のドボルザーク8番なんて、他のものが聴けない位良いと思うのですが・・。
逆に言うと、これはひどいというのはわかるのですが・・。
で・・・、この前音楽評論を検証するという本を見つけました。
音楽評論家の人たちはいかにして音楽を理解して言葉で表わすのか。
あ、私の一番問題はボキャブラリーが少ないことです。
国語・・ついでに古文漢文英語も大っきらいでした。
言葉での表現力が劣っているとでも言うのでしょうか・・。
これは自分の息子を見ていても分かります・・主語述語がなく突然しゃべりだして分かってもらえないと怒るのです。
多分、私も子供のころからそんな生活を送っていたのでしょうか。

まあ、本を読んでいるうちに分かってきたことは、いかに自分なりに理解して自分の言葉で表現するかですが。
それには、単に感覚だけでなく時代背景やいろいろな情報を多く持つことが重要で・・・・。

確かにレッスンでもモーッアルトやバッハの時代背景やその音楽について教わりますが。
でもやっぱり重要なのは、自分の理解と自分としての表現なのでしょうか。
どう表現したらいいのかわからないから習っているというのもありますが。

センスというものをどのように会得すればいいのか、毎日悩んでます。

この前掲載したのフルートのレッスン先生の小林さんのブログにこんなことが書いてあったと思います。
コンクールはプロに聞かせて評価を受けるもの・・・。
プロの耳のすごさについて書いてありました。
持って生まれたものと、いやといいうほど練習した成果がプロの耳を作るのでしょうか。

書いているうちにまた分からなくなってきた。
勝手に物事を毛嫌いしているのもあるかもしれません。
自分勝手に好きなものだけを聞いて後受け付けなかったり。
例えば、プロコイエフなんてよく演奏されますがまったくもって理解できない。
頭が古典派主義になっているのでしょうか、ロマン派まではOKなはずなのですが。

何を書いているのかわからなくなったのでこの辺で・・。
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